「消費」と「つくる」(140日目 2025/07/07)
佇まいが美しい人からは、自分の人生を生きている、というのが伝わってくる。
牧野彰邦
2025.07.07
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先日、Youtubeのショート動画で流れてきた、スケボーの大会の動画が目にとまり、その選手はすごく若い少年なんだけれど、その佇まいがすごくかっこよくて見惚れてしまった。あとで気がついたけれど、それは堀米雄斗選手で、こないだのオリンピックで金メダルをとった人だった。
すごいクールで、とにかく佇まいが美しかった。なんというか、自分の人生を生きている、というのが伝わってきて、それがかっこよかったのだ。
話が飛ぶのだけれど、自分のなかではつながっているのだけれど、最近「消費」と「つくる」ということについてよく考えている。僕は消費がすごく好きなのだけれど、消費ばっかりしていると自分が枯渇するような感覚になるというか、消費が目的のための消費というのは、自分がなくなっていくし、虚しくなってくる。あくまで僕の感覚なんだけれど、消費の先に「つくる」があるというか、つくるために消費があるという感じがある。例えば僕は本が好きだけれど、本を読むこと以上に本というそのものが好きで、造本とか、ものとして所有しておきたくて本を買うこともある。最近気がついたけれど、僕は本をつくりたいという欲求があって、だからそういう買い方をするらしい。